【新潟市議会で継続審査】「ボトナム通り」リニューアルプロジェクト

●概要

私たち新ボトナム会では、2022年12月5日、新潟市議会に陳情書を提出しました。

 

内容は、「ボトナム通り」リニューアルプロジェクトの一環として、306本から80本ほどにまで減ってしまった柳の木(韓国語で「ボトナム」)を補植すること、新しい記念プレート一基、新しいボトナム通りの標識一基を新ボトナム会から新潟市へと寄贈することを願い出るものです。

 

下記をご参照ください。

 

https://www.city.niigata.lg.jp/shigikai/index_honkaigi/honkaigi_seigan_tinj/r1tinjou7.files/tinjou197.pdf

 

 

結果は、「継続審査」となりました。

 

※継続審査とは・・・会期中に議決されなかった議案などは、原則として次の会期には引き継がれることなく、廃案となりますが、その例外として、本会議の議決によって、付託された委員会が閉会中に引き続き審査を行うことをいいます。(福岡市議会、議会用語集より


●陳情書

【受理番号】

陳情第197号

 

【要旨】

 1959 年 12 月 14 日から始まった在日コリアンの「北送事業・帰還事業・帰国事業」により、北朝鮮が「地上の楽園」という甘言を信じて、約9万 3,340 人の在日コリアンと家族が新潟港から北朝鮮に渡りました。その中には、日本人妻 1,831 人と被保護者を含め 6,839人の日本国籍保持者もいました。1959 年 11 月7日、第一次船に乗ることになった北送者と在日コリアンの北送を支持する日本の 人たちが、日朝親善と第一次北送船出港を記念して、ボトナム(朝鮮語で「柳の木」の意味)306 本を植栽して新潟県に寄贈した通りが、新潟市にある「ボトナム通り」です。

 

 日朝親善という美名の下に「ボトナム通り」を見ながら北朝鮮に渡った人たちは、北朝鮮内で最下層身分として差別され、極貧生活を強いられ、強制収容所に送られ命を落とした人も多くいます。自由を剝奪され、人権が侵害された彼らの生活は北朝鮮によって封じ込められました。今日もなお、北朝鮮では、北送者とその家族の人権は無視され、命の危険におびえながら生活しているばかりか、全ての北送者は離散家族のままなのです。

 

 国際連合が 2014 年に発表した北朝鮮の人権に関する報告書では、北送者は拉致被害者と同じく「強制失踪の被害者」であると認め、北朝鮮の人道に対する罪を訴えました。

 

 「北送事業・帰還事業・帰国事業」は 1984 年で終了し、現在、「ボトナム通り」の柳の木の多くは枯れてなくなっています。時間の経過とともに人々の記憶も薄れつつあります。私たちは柳の木を植栽し直し、「北送事業・帰還事業・帰国事業」の悲劇的な結果を歴史的事実として記録し、あらゆる人々が生まれながらに持っている人権の大切さを発信し、人権尊重の精神を育む場所として「ボトナム通り」をリニューアルしていきたいと考え、以下を陳情いたします。

 

 

1 新ボトナム会が、柳の木、新・記念プレート1基、新・「ボトナム通り」標識1基を寄贈し、「ボトナム通り」に植栽、設置することを新潟市が許可すること。

 

【付託年月日・委員会】

令和4年12月5日 文教経済常任委員会

 

【受理】

令和4年11月10日 第 376 号


●陳情の結果、審査状況

「ボトナム通り」リニューアルプロジェクトについて・・・継続審査

リンク:陳情の結果、一覧表(PDF)

柳の木が減った現在の「ボトナム通り」
柳の木が減った現在の「ボトナム通り」
「ボトナム通り」の由来を記したプレート。古くなり文字が見えない箇所が多い。
「ボトナム通り」の由来を記したプレート。古くなり文字が見えない箇所が多い。